「パパの独り言」コーナーですが今回はぴろりんの投稿ですペコリ(o_ _)o))
ヤフブロで知った山ヤさんがお山でケガをして、安全登山の心がけをしたためていました。
そのブログを読み、ぴろりんも改めてお山への畏れと心がけを戒めなきゃと思いました。
ぴろりん隊が3ヶ月程前に体験した事です。
ぴろりん隊には余りにもショッキングな出来事だったので、山での出来事にもかかわらず今までブログには書きませんでしたが、これからも楽しく安全な山登りをするために・・・最近ちょいと山に慣れ
調子こいてる自分達に警笛を鳴らす意味もこめ、今回あえて悲しい話しをブログにしました。
昨年の10月・・・それまで山への興味も知識も経験も何もないぴろりんは
「日本人なら日本一のお山富士山に登らなきゃ!!」と至って安直な思いつきで山登りを始めました。
まず身近な箱根に・・そして3回目の山行で丹沢デビューを。
2009年11月4日、初丹沢に選んだ山は無謀にも「檜洞丸」
この件はブログにも書いてあるとおり、相当大変な山行でした(^-^;
今思うと無謀この上ないパワーのみできりぬけた危ないものでした。山の神が無事に帰してくれた事に感謝です;;
この日は平日だった事もあり登山者は少なかったと思います。
そもそも西丹沢自体、静かなお山が多いらしいです。
ぴろりんの歩みはかなり遅く休み休みで山頂に着いた時は人もまばら、ガスっていて風も強かったので
山頂にいた人達も早々に下山していきました。
ぴろりん隊が息をととのえトイレ等済ませ、食事もしないまま下山を始めるも予定してた方面の急斜面にぴろりんがビビり、ピストンで戻る事に・・・また山頂まで登り返した時にはもう誰もいなく
当然これから登って来る人の気配は無い様でした。
20分程下った所にベンチがあったのでとりあえず昼食を摂る事にし、お湯を沸かしたりお弁当を広げ
準備をしてると、一人のご婦人が登ってきました。
ご婦人はベンチに座り、一緒に休憩しながら束の間おしゃべりをしていきました。
弟さんと一緒に来てる事。前に弟さんに連れてきてもらったこの山が大好きな事。松田の駅まで弟さんが迎えに来てくれた事。弟さんのお嫁さんが作ってくれたお弁当が楽しみでしょうがない事。
その弟さんが今日はバテてしまって途中から先に来てしまった事。自分は74才で弟と16才離れてる事。
練馬から来てる事。
年の離れた弟さんがかわいくてしょうがないんだな^^そしてかわいい弟さんとのお山登りがとても嬉しそうでした。15分程そんな話しをした後
「せっかく、ここまで来たから山頂まで行ってくるわね。もし弟が来たら、お姉ちゃん心配しながら山頂まで行ったよ。。。って伝えておいてください」と伝言を残し山頂に向かいました。
それから数分後、食事をしてると弟さんらしき人が下から登ってきました。
聞いてみると間違いなく弟さんで、お姉さんの伝言を伝えました。
弟さんは檜洞丸には何回も登ってるらしいのですが、「今回は初めてリタイアだ~~」
と言ってました。山頂はあきらめてここでお姉さんを待つ事にしたらしいです。
「私のはソフトバンクで携帯がつながらない」と連絡する事もできない様なので
ぴろりんの携帯で連絡を試みましたが(ぴろりんのドコモはアンテナがフツウにたってました)
お姉さんの携帯は留守電になってしまいました。
大丈夫かな・・と思いながらも、ぴろりん隊のペースだとそろそろ下山しなければ日が暮れてしまうし、
年齢こそぴろりん隊より高齢だけど山登りはベテランの様なので、そのまま下山しました。
ぴろりん隊が駐車場に着いた時には日が傾きかけていて、(思ったより時間がかかったので・・)
「あの人達、無事会えたかな・・ご飯まだみたいだったけど、のんびり食べてたら日が暮れちゃうじゃん
もうすぐそこまで下りてきてればいいけど・・・」
と心配はしたものの、そんな時の対処も何も知らない無知だった為、帰宅しました。
その訃報を知ったのはそれから何日もたった11月19日・・・
何気なくネットで見てたニュースで、「西丹沢で遺体をひきあげ・・・」
そのニュースで年齢や家の場所、姉弟での登山・・そして行方不明になった日付・・・
正にそのご婦人でした。山頂から下山方向を間違えて滑落死してしまったのです。
衝撃的でした。
後悔は後からたくさんでてきました。
おそらく最後に言葉を交わしたぴろりん隊がもう少し山を経験していたら
ここから山頂まで後30分以上登らなきゃならない事
弟さんとはぐれたままでだいじょうぶなのかという事
自信もって言葉にすることができたんじゃないだろうか。
ご婦人がズボンの膝を見せて「こんなにボロボロになっちゃったのよ~膝つかなきゃ上がれなくて
年とったのね~」と苦笑してたのを忘れられません・・・
心では「こんなに膝つかなきゃならなかったんだ~」と擦り切れたズボンを見て思ったのに
言葉では「私も同じですよ~もうよいしょよいしょ~ってかんじで四つんばいで上がってきました!」
なんて話しを合わせてて・・・
あのズボンを見て、ご婦人の体力が限界だという事に気づけなかった事もストップをかけられない原因でした。
あの事故の後、本やネットで山の知識や遭難についてなど、出来るかぎり読むようにしてます。
それでも山に登る以上、危険はつきものでまったく安全なことはありませんが
出来る限り安全に心がけ山への畏敬は忘れてはいけないと肝に命じ
ずっと続けられればいいなと思ってます。
あの時の衝撃を忘れないように
これからも楽しい登山をぴろりん隊は行っていきますヽ(*^^*)ノ
全国の山ヤさんみ~~んな楽しい登山が出来ますようにv(=∩_∩=)
ヤフブロで知った山ヤさんがお山でケガをして、安全登山の心がけをしたためていました。
そのブログを読み、ぴろりんも改めてお山への畏れと心がけを戒めなきゃと思いました。
ぴろりん隊が3ヶ月程前に体験した事です。
ぴろりん隊には余りにもショッキングな出来事だったので、山での出来事にもかかわらず今までブログには書きませんでしたが、これからも楽しく安全な山登りをするために・・・最近ちょいと山に慣れ
調子こいてる自分達に警笛を鳴らす意味もこめ、今回あえて悲しい話しをブログにしました。
昨年の10月・・・それまで山への興味も知識も経験も何もないぴろりんは
「日本人なら日本一のお山富士山に登らなきゃ!!」と至って安直な思いつきで山登りを始めました。
まず身近な箱根に・・そして3回目の山行で丹沢デビューを。
2009年11月4日、初丹沢に選んだ山は無謀にも「檜洞丸」
この件はブログにも書いてあるとおり、相当大変な山行でした(^-^;
今思うと無謀この上ないパワーのみできりぬけた危ないものでした。山の神が無事に帰してくれた事に感謝です;;
この日は平日だった事もあり登山者は少なかったと思います。
そもそも西丹沢自体、静かなお山が多いらしいです。
ぴろりんの歩みはかなり遅く休み休みで山頂に着いた時は人もまばら、ガスっていて風も強かったので
山頂にいた人達も早々に下山していきました。
ぴろりん隊が息をととのえトイレ等済ませ、食事もしないまま下山を始めるも予定してた方面の急斜面にぴろりんがビビり、ピストンで戻る事に・・・また山頂まで登り返した時にはもう誰もいなく
当然これから登って来る人の気配は無い様でした。
20分程下った所にベンチがあったのでとりあえず昼食を摂る事にし、お湯を沸かしたりお弁当を広げ
準備をしてると、一人のご婦人が登ってきました。
ご婦人はベンチに座り、一緒に休憩しながら束の間おしゃべりをしていきました。
弟さんと一緒に来てる事。前に弟さんに連れてきてもらったこの山が大好きな事。松田の駅まで弟さんが迎えに来てくれた事。弟さんのお嫁さんが作ってくれたお弁当が楽しみでしょうがない事。
その弟さんが今日はバテてしまって途中から先に来てしまった事。自分は74才で弟と16才離れてる事。
練馬から来てる事。
年の離れた弟さんがかわいくてしょうがないんだな^^そしてかわいい弟さんとのお山登りがとても嬉しそうでした。15分程そんな話しをした後
「せっかく、ここまで来たから山頂まで行ってくるわね。もし弟が来たら、お姉ちゃん心配しながら山頂まで行ったよ。。。って伝えておいてください」と伝言を残し山頂に向かいました。
それから数分後、食事をしてると弟さんらしき人が下から登ってきました。
聞いてみると間違いなく弟さんで、お姉さんの伝言を伝えました。
弟さんは檜洞丸には何回も登ってるらしいのですが、「今回は初めてリタイアだ~~」
と言ってました。山頂はあきらめてここでお姉さんを待つ事にしたらしいです。
「私のはソフトバンクで携帯がつながらない」と連絡する事もできない様なので
ぴろりんの携帯で連絡を試みましたが(ぴろりんのドコモはアンテナがフツウにたってました)
お姉さんの携帯は留守電になってしまいました。
大丈夫かな・・と思いながらも、ぴろりん隊のペースだとそろそろ下山しなければ日が暮れてしまうし、
年齢こそぴろりん隊より高齢だけど山登りはベテランの様なので、そのまま下山しました。
ぴろりん隊が駐車場に着いた時には日が傾きかけていて、(思ったより時間がかかったので・・)
「あの人達、無事会えたかな・・ご飯まだみたいだったけど、のんびり食べてたら日が暮れちゃうじゃん
もうすぐそこまで下りてきてればいいけど・・・」
と心配はしたものの、そんな時の対処も何も知らない無知だった為、帰宅しました。
その訃報を知ったのはそれから何日もたった11月19日・・・
何気なくネットで見てたニュースで、「西丹沢で遺体をひきあげ・・・」
そのニュースで年齢や家の場所、姉弟での登山・・そして行方不明になった日付・・・
正にそのご婦人でした。山頂から下山方向を間違えて滑落死してしまったのです。
衝撃的でした。
後悔は後からたくさんでてきました。
おそらく最後に言葉を交わしたぴろりん隊がもう少し山を経験していたら
ここから山頂まで後30分以上登らなきゃならない事
弟さんとはぐれたままでだいじょうぶなのかという事
自信もって言葉にすることができたんじゃないだろうか。
ご婦人がズボンの膝を見せて「こんなにボロボロになっちゃったのよ~膝つかなきゃ上がれなくて
年とったのね~」と苦笑してたのを忘れられません・・・
心では「こんなに膝つかなきゃならなかったんだ~」と擦り切れたズボンを見て思ったのに
言葉では「私も同じですよ~もうよいしょよいしょ~ってかんじで四つんばいで上がってきました!」
なんて話しを合わせてて・・・
あのズボンを見て、ご婦人の体力が限界だという事に気づけなかった事もストップをかけられない原因でした。
あの事故の後、本やネットで山の知識や遭難についてなど、出来るかぎり読むようにしてます。
それでも山に登る以上、危険はつきものでまったく安全なことはありませんが
出来る限り安全に心がけ山への畏敬は忘れてはいけないと肝に命じ
ずっと続けられればいいなと思ってます。
あの時の衝撃を忘れないように
これからも楽しい登山をぴろりん隊は行っていきますヽ(*^^*)ノ
全国の山ヤさんみ~~んな楽しい登山が出来ますようにv(=∩_∩=)